手造りかりんとうで地域おこし
今回、大分県日田市天瀬町の山あいにある畦道グループ食品加工組合を訪れました。
昭和50年代から、“継続は力なり”をグループ訓として、地域の食材を使い、農村女性が昔ながらの『手造りかりんとう』を作り続けています。
笑いが絶えない作業場で丁寧に作られる手造りかりんとう
「天瀬の魅力はなんといっても、温泉があってお母さんたちが元気!明るく元気で楽しい所には人が集ってきますから」
そう笑うのは、畦道グループ食品加工組合の代表 渡邉晃子さん。
「畦道は、みんな元気いっぱい!」「ここに来れば元気をもらえるって言われるからね」……スタッフ皆さんで談笑する姿は、笑いが絶えず自然体。そんな姿に、天瀬町そして畦道グループのあたたかさを感じます。
現在女性7名で、ご当地の特産物などを練りこんだ『手造りかりんとう』を作っている畦道グループ。
農業をしながら、家を守りながら……“ながら、ながら”で、女性だけで何十年と切り盛りをしてきました。
「大変ではなかったですか?」という問いかけに、「ここは、束縛がなく自分たちの考えをやれる、息抜きの場所でもあったんですよ」と、目を細めて話す渡邉さん。
農林水産大臣賞を受賞し、今では遠方からもお客様が買いに来る人気商品となった『手造りかりんとう』。その商品が生まれたきっかけや想いをお伝えいたします。
大分県日田市天瀬町
別府や由布院と並ぶ、豊後三大温泉の一つ天ケ瀬温泉を有する、日田市の山あいの地「天瀬町」。大昔から、ここを訪れた人々や土地の先人たちが、美しい自然と豊富な温泉を讃えています。
写真:日田市観光協会 天瀬支部
“女性が家を守る”が色濃かった時代に新たな世界へ
昭和40年代、「まだ女性は家に仕える」そんな時代でした
当時は、主人の祖母や両親に仕えて農業の仕事をしていました。言われるように動いて家を守って……、どこのお嫁さんも「自分達で収入を得たい」という思いはあったのですが、なかなか自由が利かない時代でした。
そんな中、田植えをする前の裏作に、春ごぼうなどを植えて育ててみようかと思ったのがきっかけです。近所の人に声をかけて、3人で始めました。
農家の嫁から想像のつかないような世界へ
1人ではできなくても、3人ならできると思ってね。「三人寄れば文殊の知恵」や「石の上にも三年」など、昔の格言が好きなんです。稲かけも、三本足だと安定して稲をどっしりと支えることができるでしょう。だから、まずは3人で3年挑戦してみようと、種を蒔き、育て、作物ができあがったら出荷しました。
2年目からは、スナックエンドウやハニーバンタンを作付けして、ここが物づくりの出発点です。一人20万円ぐらいの収入になり、嬉しかったですね。
県が一村一品運動に力を入れ始め、それをきっかけに、メンバーも14人に増えました。
その時に思ったのは、“みんなで広がった輪は力強い”ってこと。
別府市の農業祭に山菜おこわと栗おこわを出品したら、1日でびっくりするほど売れてね。蒸しても蒸しても足りなくて…。農家の嫁から想像もつかないような世界に飛び込んだ感じでした。みんなやる気が出ましたね。消費者との対面販売の1ページは、今も鮮明に覚えています。
皆で活動をする場所として……加工所の誕生
この加工所ができた当初は、かりんとうではなくて、味噌、おこわやオードブル、お弁当などを作っていました。
朝早くから惣菜を作り、終わったら、各自で作ってきた饅頭やかりんとうなどのお茶菓子で一服。
でも、お弁当づくりは朝が早く、時間を取られるんですね。家を犠牲にしたらいけないということで、お弁当をやめることにしました。その代わりに、作り置きができる『かりんとう』を販売してみようと……それがはじまりです。
手造りかりんとう はじめの一歩
試作を重ね、想いを届けに足を運びました
大分の百貨店に販売に行ったんですよ。そしたら昔ながらのかりんとうだから、お客様から「硬い!」と言われ、作った半分ほどしか売れず大変でした。
それから試作を繰り返しました。普及所や役場、農協などにかりんとうの試食を持って行き、かりんとうに番号を付け「買うとしたらどれ?」と投票をお願いしたり、普及員の先生にも指導をいただきながら、求められる味へと仕上げました。
あとは、自分たち作り手の想いも伝えなければいけない。だからみんなに「私たちは畦道グループだけど、かりんとうを背中に背負っていると思って行動しよう!」ってよく話しました。
やっぱり、人との繋がりを持たないと、品物がどんなに素晴らしくても、いろんなお菓子がある中では競争ができない。まずは私たちを知ってもらい、どんな想いで作っているかを知ってもらおうと、県内はもとより福岡、広島、東京、遠くはシカゴまで、声がかかったところへ足を運びました。
共に共に……一人で百歩よりもみんなの一歩が嬉しい
家族をはじめ、いろんな方々に協力してもらいました。大分県や日田市、天瀬町に応援してもらい、農協などが支えくれて、育ててもらったグループなんです。それにどう応えるのかが、自分達の使命だと思っています。
踏み出せ、汗出せ、知恵出せと「三出せ運動」で、積極的に行動してきました。「できる時に、自分ができることを一生懸命にやる」からこそ、多くの方と繋がることができたと思っています。
一人ではできなくても、みんなでやれば十の力、百の力になります。「一人で百歩よりも、みんなの一歩が良いね」って、ずっと“共に共に”という精神でやってきました。
今年、旭日単光章を秋の叙勲でいただくことになりました。「私が貰っていいんですか?」が第一声でしたね。思いもよらない賞をいただくことになり、驚きと感謝の言葉しかないです。どんな事もみんなで感動して、同じ空気の中で、幸せや喜びを感じるためにやってきたこと。真剣に何でも地道にやっていたら、誰かが見てくださっていたのだと、感謝しています。
自分のためでなく仲間のため、地元の天瀬をはじめ、日田や大分のためにできるお手伝いはないかと挑戦して動いた分、いろんな体験を重ね、自分磨きの場となりました。「心の財」を積むことができたと思っています。
金持ちになれなかったけど、人持ちにはなれました
先日、NPO法人人材育成文化協会から「凄腕繁盛記」という本を出しまして、最後に「私は金持ちになれなかったけど、人持ちにはなれました」と書きました。
お金は使ってしまえば無くなるけれど、人は、その人がいなくならない限り残り続ける。それが一番の宝物だと思います。だから、どれだけの人と出会えて絆を残したかは、すごい財産だと思うんですよね。
かりんとうもね。買ってくれる人がいて、食べてくれる人がいるから、「お陰様でありがとうございます」という気持ちで作っています。感謝の気持ちを忘れたらだめ。いつもいつも、そういう思いです。
地元や県だけでなく海外まで繋がる広がり
地元では小学校や中学校の職場体験で、一緒にかりんとうを作っています。今年は、中学生が育て収穫したサツマイモを教頭先生が持参され、それを原料に100個のかりんとうを作りました。「作ったサツマイモが入ってる!」と、生徒や保護者の方に喜んでもらえました。やっぱり、いろんなことをしているといろんな喜びがありますね。
先月は、東アフリカのタンザニアから、29名の方々の視察がありました。6年前も訪問いただき、タンザニア政府高官らが「その地域の婦人に、やる気を起こさせたい」ということで、再度見に来てくれました。「今は100年時代で、年齢に制限がなくなって、働けるだけ働ける。だからここは、高齢者の生きがいの場所になっていますよ」と、お伝えしました。みんなで何かすることで輪ができるし、何かすることで喜びが湧きます。
地域に、何かしら還元しながら活動してきたのが良かったな、と思っています。してもらったら差し伸べる心が大切ですね。
「行政府の方は仕掛人。だからこそ、婦人にチャンスを与え、チャレンジする場を提供する事が一番!目的観を持って進むことで、荒波も乗り越えられます!」ともお伝えしました。
かりんとう作りで意識していること
誇りをもって商品に責任をもって
『手造りかりんとう』は、みんなが認めてくれ、農林水産大臣賞までいただいたので、誇りと責任をもって、「売る人が安心して売れる商品作りをしないとダメ」ということを言い続けています。
お店に行っても、他のかりんとうを見て、比べてみる……、満足しちゃいけないと話しています。どこまでも挑戦し続けることが大切です。
周りに農家が多く、材料は集めやすいです。ヨモギ味のかりんとうがありますが、今でも春になると、メンバーで採りに行きます。ヨモギだけは、春の新芽を摘まないと色が悪いからです。柚子胡椒味の柚子も、メンバーが育てたものを使っていますし、野菜なども、なるべく、地元産や県内産のものを使いたいと思います。
あと、作りたての新しいものを美味しく食べて欲しいから、ストックはあまり置かずに、受注生産を中心に注文を受けた分を作るようにしています。
美味しく食べてもらおう!手をかけた分、愛情が伝わる
インタビューの間も、「注文していた、かりんとうを取りに来た」という、遠方からのお客さんも訪れる畦道グループ。そのお客さんは、かりんとう販売を始めた時からのファンだそうです。
お客さんからは、「畦道のかりんとうは、よそのとはちょっと味が違う」って言われます。さっくりさっぱりの「食べだしたら、やめられない止まらない、また手が出るかりんとう」を目指して作っています。サクサクすぎると美味しくない、硬いのは食べた時に違和感がある……。だから、食べてね、ちょっと硬いけどカクッ、サクサクッッっと進む、その食感が一番良いと思っています。やっぱりね、手をかけたほど、愛情が伝わる。美味しく食べてもらいたいという想いがあるからです。
随分前ですが、女性のお客様から手紙をいただきました。いろいろあって、憂鬱な気持ちで旅をしていたそうですが、「かりんとうを食べて、懐かしい思いがこみ上げ、天瀬に来たことが良い思い出になりました」と御礼が書いてありました。私も、「かりんとうで、そんなに感動させたってことはね。作る人として、どんなに嬉しいか分からない」と返事しました。
「人が喜ぶことが嬉しい」という気持ちは、自分に感動として返ってきます。財産ですね。
かりんとうの販売拡大に向けて
「かりんとう」ののぼり旗を出すと、通りがかりの人や近くの別荘の人などが、買いに来てくれます。
「買って食べたら美味しかったから~」と、わざわざ寄ってもらうことも多いです。買った人からもらった人がね、美味しかったからと言って買いにきてくれたりも。
そうやって、口コミで広がっています。
少しのストックはありますが、ほとんどを受注生産でやっているので、買いに来るときはご予約いただけると確実です。
ネット販売や、コープ大分の「食べちょくれおおいた」にも、コープの玉子・牛乳入りで出品しています。
なかなか販売に行けない分、どうしたら長く続くか……と、常に考えています。中でも、コラボ商品はいいですね。大分県の商談会で、サンヨーコーヒーさんから「うちのコーヒーを入れたかりんとうを作ってほしい」という話が出たのが第一弾。今、5社とコラボ商品を作っています。こちらが売りにいかなくても商売が可能で、そうした展開は良いと思います。
畦道グループのこれから
おいしいと食べてくださる方がいる限り、仲間と一緒に作り続けます
振り返るといろんなことがありましたが、多くの方に関わっていただいて、ずっと支えられ……それが一番です。
地域の人が、行く所、することがあって、仲間がいて、お小遣いがもらえて、年金がもらえる……。
私たちがいなくなっても、誰かが、そういう思いを引き継いで、地域産業の生きがいの職場として生き続けてほしいです。
「昔なつかしいお菓子を、地域に残したいし、伝えたい!喜んで、おいしいと言って、食べてくださる方がいる限り!」という思いがあります。“人と繋がることで、人生はより楽しくなる”ということですね。
「自分のために頑張ることは大事ですが、それは自己満足の喜び。仲間と歩いた道は、達成感と感動が伴い、心豊かに幸せを感じることが大きいです。年を重ねていきますが、心はいつも何処までも青春で!!」
終始、はつらつと熱い思いを伝えてくださった渡邉さん。豊かな自然の中で、まっすぐのびる畦道のように、生産者の道を明るく照らし続けます。
手作りかりんとうができるまで
1. 生地づくり
専用の機械に小麦粉などの材料を入れて生地を作ります。
2. 足ふみ
足ふみ工程で生地を鍛えます。
足ふみによって、小麦粉とそれぞれの原材料を塩水を捏ねてできる、かりんとうの「噛みごたえのある食感」を作ります。
3. 生地を伸ばす
空気を抜くために縦、横に伸ばします。品物によって生地の厚さ変えています。
4. 切る
生地同士がくっつかないように、玄米のぬかを絡めながら、包丁で切ります。全て手切りで、一束で100回以上、包丁を動かすそう。
「手切りゆえに、少々不揃いですが、それが良いと言ってもらえます」
5. 揚げる
色を見たり、割ってみたりと中の様子を見て、ちょうど良い頃合いをはかる、長年のカンが必要な工程です。
6. コーティング
2種類の砂糖(白砂糖、三温糖)とはちみつ、少量の塩を混ぜたもので、コーティングしています。季節や天候によって、火加減も変えているそう。
7. 袋づめ
分量を量って、袋詰めします。袋のシール貼りも、皆でおこなっているそうです。
「商品の顔だから、美人に見えるように貼らないとね。娘を嫁に出す親の思いで!」と、笑いながら話してくださいました。
長年の経験で、かりんとうの変化などを感じとることも多いそうで「スタッフひとりひとり、コツややり方が違うんです」と笑う、畦道スタッフの方々。
かりんとうの人気を聞いたところ、シンプルな牛乳が一番で、続いて香ばしいごま、優しい甘さの紫いもが売れているそう。大人の方には、ピリ辛で香りのよい柚子胡椒、若い方には、コーヒーがオススメということでした。